まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

第六天についての考察 第六天社という神社がある。

このブログでも、過去に何度か触れたことがある。 実に不思議な神社だ。

この聞き慣れない神社は、かつては関東のいたるところにあったらしい。

しかし、現在ではほとんど目にすることがない。

ほとんどは名を変えてしまったか、小祠として僅かに姿を残すか、あるいは消えてしまったようだ。

 

そもそも第六天とは何か。

なんとこの神社は、魔王を祀っているという。

色々あり、私はこの第六天について調べてみることにした。 その内容を、備忘録がわりにここに記したい。

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まず第六天(だいろくてん)とは、何か。

調べてみようにも、この信仰のほとんどは消えたか変わってしまったらしく、詳しいことはわからない。 が、何度か図書館に通い、次のような概要を知ることができた(参考図書はまとめて最後に記します)。

曰く・・・ 第六天とは、仏教で信奉している魔王。

欲界天の第六、つまり最高所に宮殿を備えた天魔である。

身の丈は2里、寿命は人間の1600歳を1日とし、1万6千歳の長寿とされている。

男女に対して自由に交淫・受胎させることができる力があるとされ、他人の楽しみ事を自由自在に自分の楽しみにかえる法力を持っているので、他化自在天(たけじざいてん)と呼ぶのが本来の名である。

謡曲に「第六天」というのがあり、そこでは群魔を従えて現れ、煩悩・悪魔・障碍の群鬼の魔王と名乗りをあげる。

話の筋としては、解脱上人が伊勢へ参宮すると、神霊が女の姿で現れ、仏法の障碍を告げて消えた。すると天地鳴動して第六天が群魔を従えて現れる。それをスサノオノミコトが退散させる、というもの。

この謡曲の出典ともなった「太平記」では、第六天が公家と武家の仲をさき、承久の乱を企て世相を騒乱させようと悪魔外道とともに相談したという記事がある。

更に、第六天魔王として信長が自称したことで有名。

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それにしても魔王を祀るというのは異様だが、考えてみれば日本人らしい発想かもしれない。

日本の神様は恐ろしい存在であり、人に災難をもたらすことが多い。

だからこそ丁重に祀り上げ、諸々の災厄を守る神に転化する。

荒魂とか和魂とか言われて、これは神の2つの側面をあらわす言葉だが、ここに多神教で且つ自然と寄り添って生きてきた日本人の性質を感じることができる。

しかし、それにしても“魔王”を祀るというのは少し異様だ。

 

調べてみると、どうやら分布されている範囲は限られていて、関東に数が多く、西にはない。

この信仰が広がったのには、何か別の深い理由がありそうだ。

とにかく謎の多い神である。

なぜ謎が多いのか。

その理由は単純で、時代の流れとともに合祀されたり名称を変えられたりして、神社そのものがなくなるか、信仰が途絶えてしまったためだ。つまり、わからなくなってしまった。

大きな岐路は、やはり明治の神仏分離で、祭神を変えたり社名を変えたりということが広く行われた。

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ではどのように変わってしまったか。

現在の第六天神社の祭神は、大きく分けて次の3つに分類されるものと思われる。

(1)面足尊(おもだるのみこと)等の夫婦神

(2)高木の神、高皇産霊神(たかみむすびのかみ・日本書紀)

     或いは高御産巣日神(たかみむすびのかみ・古事記)

(3)その他。

天神などまったく関係のない神であったり、合祀されて神が変わったり、昔からの当地の神だったり 1つ目は、明治の神仏分離の流れのなかで、仏教色のある神から神道系の神に変更する必要が出たことに起因する。

第六天の六というのが、神世七代で第六代にあたるため、この神世第六代の神を祀った。

この神の名前は、出典を古事記と日本書紀のどちらに求めるかの違いで、神の名前が変わる。

しかし、同じ神だと考えていいと思う。

古事記であれば、淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)。

日本書紀は、面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)となる。

ほとんどの第六天社はこの神に祭神を変更した。

例えば、東京の台東区蔵前にある榊神社、原宿と渋谷の中間あたりにある穏田神社、岩槻の武蔵第六天神社や、神奈川県茅ケ崎市にある第六天神社がこれにあたる。

なお、民俗学者である白井永二氏は 「(第六天社との関係において)千葉・茨城に多い千勝(近津)神社について、注目すべきだと思う」 と指摘している。

千勝(近津)神社は面足尊・惶根尊を祭神にしていることが多い。

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 2つ目の高木の神というのは、江戸時代の神道学者、平田篤胤が上記(1)を否定し唱えた学説をもとにしている。

この例は1つめのものより少ない。

これは私の推測だが、墨田区押上や葛飾区西亀有にある高木神社などは、この事例に該当するのではないかと思う。

この2つの高木神社について、この説を当てはめている文献などは今のところ目にしていないが、そのように私は確信している。

理由は、これらの高木神社は元第六天社と呼ばれている事実と、神仏分離以降に社名を高木神社とし、高皇産霊神を祭神としているため。

ちなみに、この高皇産霊神は造化の三神とよばれるうちの一柱(神様の単位?を柱という)で、2番目にあらわれた特別な神様。 

何故、高御産巣日神を高木の神というかについては、古事記の神武東征のところで、高御産巣日神の別名として突如現れるところにある。

ちなみに高木の神という考え方について、大野晋氏は「高木の神とは、高い木に降下する神」であるとし、その傾向は広くアジア大陸に見られるとしている。

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3つ目の天神は、都内でそういう事例があるため取り上げた。

杉並区の第六天神社は祭神は面足尊・惶根尊だが、地元の人々の中には天神様だと思っている人もいるという。

第六・天神社というように、前と後に分かれてしまったためらしい。

天神社にはこのように本来天満宮ではないのに天神様と呼ばれることがある。

他にも猿田彦や大己貴命などである事例がみられる。

このような複雑な経緯をたどった例としては、千葉県長生郡長生村の一松神社がいい例だと思う。

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一松神社は、昔は第六天神と称し大己貴命を祀りました。

寿永年間に木曽氏が戦死後、諏訪の某なる者が神器を抱いて来村し、仮の諏訪神社を建てました。

祭神は、高皇産靈尊・神皇三靈尊・建御名方命を祀っています。

境内の神社は諏訪神社・白幡神社が祀られています。

後世荒廃の末に、第六天神に合祀し第六天諏訪大明神と呼び、鎮守の神として崇拝されて来ました。明治維新の際に、現在の祭神に改めたとの口碑があります。

                    ちばの観光まるごと紹介「一松神社」

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 錯綜しすぎていて、何がホントの神かよくわからない。

 

第六天は合祀や神仏分離などの影響により、祭神や社名が変わってしまった。

もとは魔王であり、しかし広く信仰されていた。

そこまではわかった。

しかし、それにしても第六天は魔王中の魔王である。 にも関らず、数多く、広く信仰されている。

例えば、東京都文京区には第六天町(現在の東京都文京区春日のあたり)という地名があり、宮城や茨城には第六天山という山がある。 江戸時代にはたくさんの第六天社が武蔵国にあったといわれている。

分布範囲は埼玉・千葉・神奈川・東京に密度が濃く、静岡県・宮城・茨城・山梨・長野にもあった。

しかし、関西など西の方には見られない。

関東に多かった・・・といっても、現在ではあまり見ることがない。

実際どの程度あったのかは分からないが、身近なところでということで、我が埼玉県川口市にはどれだけの第六天社があったのかを数えてみたところ、把握できただけで約17箇所あった。

私が確認できるだけでこれだけあったのだから、実際はもっと多かったに違いない。

地域限定ではあるが、なぜ魔王が、ここまで濃く信仰されたのか。

また、本源はどこなのか。

神奈川を中心に活動されている川口謙二氏は、次のように推測している。

 

以下、川口氏の推論を引用する。

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おそらく第六天は、修験者(山伏)が信奉していた仏神であることに間違いなかろう。

比叡山の守護神で、日枝山王七社の第六にあたる十禅師権現というのがある。

「沙石集」巻一に、「日吉諸社の中十禅師霊言あらたかにまします。本地地蔵菩薩なり」とある。

そのお姿は若僧の形か童子の形をしているが、もとは唐の職制のなかの禁中仏事に奉仕する僧職で、定員一〇名としていることから、十禅師とか十師と称されていたものである。

我が国では宝亀三年、宮中で初めてこの制度を採用し、平安朝以降、密教の僧をもってこの職に充てていたのであるが、それを日吉山王七社のうちに天台宗が組み入れたものである。

以上のことから、十禅師権現は宇賀神にも習合され、真言宗の稲荷信仰に対して、天台宗の十禅師信仰として布教されるようになり、 六欲天の最高位の第六天に習合させ、福神として民衆の間に広まったものが、そもそもの始まりではないかと考えている。

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蛇足ながら補足すると、埼玉県飯能市に第六天神社がある。

ここには第六天は天狗だという説があり、この神社には天狗の伝説が残っている。

天狗の姿は修験に似ているため、上記の論を補足するものであると思う。

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第六天の持つ自由に交淫・受胎させることのできる力というのは、出産に関連し、いかにも民俗信仰に繋がりやすいと思う。

1万6千歳という長寿も魅力だ。

私が調べた川口市の事例だと、村民持ちの祠が多かったり、小祠が多かったりする。

やはり、民俗信仰として村単位ではなく個人など小さな単位で広がったのかもしれない。

長寿、子孫繁栄という性格を考えると、石の神や道祖神、猿田彦、大己貴命といった神と合わさりやすいだろうことは、想像できる。

お地蔵さんも道の神、子供の神、石の神であることを考えると、地蔵菩薩を本地とする十禅師とのつながりも想像しやすい。

絶大な力、必要不可欠で身近なご利益というあたりに、民間で広がりやすい下地があったのかもしれない。

また、川口氏の推論のように、その信仰の広がりに修験の関わりがあった可能性は高いと思う。

個人的には、子の聖・子ノ神・子ノ神社の広がり・分布と似ている点に、私は注目したいと思う。

尚、私の調べた川口市の第六天社については、改めて紹介したい。

 

 

参考資料

  • 神社辞典(東京堂出版)
  • 日本の神々 神社と聖地 第十一巻
  • 日本神祇由来辞典
  • 神道はなぜ教えがないのか
  • 新編武蔵風土記稿 巻七
  • 埼玉の神社
  • その他、各神社のウェブサイト、ウィキペディアなど。

 

2013年1月24日 (木)

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