まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

「大川端」 著:小山内薫  第1部 1

 今から七年前――丁度日露戦争が済んだ年の秋だった。久松超の明治座に愛国婦人会の慈善演芸会が三日ばかり催された事があった。

 その二日目に正雄は龍閑橋の伯父さんに連れられて、見物に出かけた。菊の匂いの何所からともなく漂ってくるような如何にも好い日和で、正雄の制服姿も正雄の伯父さんの唐桟拵えも秋の日を受けて鮮やかに光った。

 明治座へはいると、白襟に細い金鎖をかけて裾模様を着た貴婦人という人達が、赤だの白だの紫だののリボンを胸につけて、頻りに廊下や桟敷を斡旋して歩いていた。

 正雄は伯父さんとたった二人で一間の土間を占領した。伯父さんが芳町方面への義理で引き受けた切符の数は四枚だったが、他に来る人が誰もなかったのである。

「菊畑」の芝居があった。知恵内はその時分の莚升、鬼一はその時分の時蔵、丹海は先の肥った荒次郎だった。紙で拵えた黄菊白菊、白と藍との市松の日除障子、青竹の床几、智惠内の銀の毛抜き、鬼一は鳩杖、皆鶴姫の赤い袂、こういった色と形とは芝居好きな正雄を喜ばせた。

 併し、この日は芝居よりも正雄を喜ばせたものがある。それは芳町のお酌の踊であった。本花道と仮花道から揃いの友禅を着て、揃いの銀のぴらぴらを挿したお酌が八人づす出て、連帯旗をかいた団扇太鼓を一緒に鳴らしながら、元禄踊式に手足を揃えて踊るのである。

 正雄は子供の時分から団十郎や菊五郎の踊を見ているし、藤間や花柳の好い師匠の踊も見ているので、まだ身体の自由に動かないお酌などの踊を見て感心するわけはないのである。正雄が喜んだのは唯綺麗だからであった。

 正雄は山の手の或る芸者屋町で育った。正雄の育った屋敷は芸者屋や待合で取り巻かれていた。彼は子供の時から芸者やお酌を沢山に見た。けれども、その辺の芸者やお酌は正雄の心になんらの夢想をも起こさせなかった。正雄は彼らを下女のように見もし思いもして来たのである。

 はじめて見た下町のお酌。しかも名に聞いた芳町の、中でも美しいのをすぐったのであろう。両花道を合わせて十六人、賑やかな鳴物に拍子を合わせて、美しい顔をあからめもせず、三十二の袖をひらめかすまばゆさ。

 山の手のそれとは彫が違うと思った。絵具が違うと思った。そう思いながら、正雄は両腕を間狭にもたせて、瞬きもせず左右を代わる代わる見た。

 両方から来たお酌達は、舞台で入れ違うと、一斉に後向きに座って肌を脱いだ。縮緬の襦袢にも連帯旗の模様が赤く染めてあった。

 踊り子はてんでに小さな日の丸の旗を持って、又一踊り踊るのであった。

 正雄は上手から三番目にいたお酌を中でも美しいと思った。

 髪の毛が黒く豊かであった。鼻の高きに過ぎないのも愛嬌があった。夢を見ている人のような口元。黒眼勝な利口そうな眼。態度が慎ましやかなので、背の高いのも憎げてはなかった。

 正雄は自分の趣味を殆ど理想的にこのお酌から汲み取る事が出来た。正雄は一旦このお酌に眼をつけてからは、他のお酌には眼もくれずに、唯この一人をのみ見詰ていた。再び斯かる機会は無いと思ったのである。この尊き機会を出来得る限り長く深く味はおうとしたのである。

 正雄はプログラムを広げて、そのお酌の名を求めた。けれどもプログラムには唯大勢の名が列んでいるばかりで、どれが誰だから容易には分からなかった。正雄は伯父さんに聞いて漸くこのお酌の名を知った。お酌は新河内屋の君太郎という、かなり格の好いのであった。

 

 君太郎の姿は深く正雄の脳裏に刻まれた。正雄は家に帰ってからも、容易に君太郎を忘れる事が出来なかった。本を読んでいる時も、何か書いている時も、君太郎の眼が始終自分を見ているように思われた。

 正雄は家にある古い文芸倶楽部を藏から沢山出して来て、一冊一冊口絵を調べた。殆ど一日がかりで漸く君太郎の写真を二枚見つけた。一つは元禄姿をして手に桜の枝を持ったのである。ひれは何かの踊の時に撮ったのであろう。一つは恰好の悪い洋服を着て薔薇の匂いを嗅いでいる所である。これは着物を借りて道楽に写したものであろう。