まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

評伝 小山清 1 新吉原 12 小山加禰

 

1911年 ( 明治44年 ) 4月のいわゆる吉原の大火で廃業するまで、小山の家は廓内で兼東楼 ( 京町2-31 ) という名で貸座敷業を営んでいた。兼東楼は小山加禰によって創建されたと谷中霊園の小山家の墓地にたつ「加禰女墓誌」には記されている。漢文で記された墓誌によれば、加禰の生涯は以下のようになる。

加禰は1834年 ( 天保5年 ) 7月29日、小山源蔵の四女として墨田村に生まれた。母は山本氏の出である。性質は操正しく、篤実で、はなはだ義侠心があった。三宅半兵衛に嫁いだが、その没後実家に戻った。ちょうど兄の松五郎が向島の枕橋のほとりに割烹・八百松楼を創建した。加禰は兄を助け大いに働き、店を営み、その名がたいそう上がった。そこで甥・良蔵に家を継がせた。そして良蔵を監督、励まし、大いに家運を興隆させた。

加禰は、年老いては、別れて家をつくり、姪・阿久里を養女とし、その子兼次を跡取りとした。新吉原に移り、貸座敷業を営み、兼東楼と名付けた。明治42年3月7日、病により没した。享年76歳。谷中墓地に葬られた。

 この墓誌によれば、加禰の姪・阿久里 ( あぐり ) が小山の祖母になり、加禰は小山から見ると曾祖母ということになろう。