まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

「落穂ひろい」 著:小山清

 仄聞 ( そくぶん ) するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆してゐる日記は嘘の日記ださうである。僕はその話を聞いて、その人の孤獨にふれる思ひがした。きつと淋しい人に違ひない。それでなくて、そんな長いあひだに渡つて嘘の日記を書きつゞけられるわけがない。でもそれが僕にとつて嘘の日記に相当すると云へないこともないのであらう。僕は出来れば早く年をとつてしまひたい。すこし位腰が曲がつたつて仕方がない。僕はそのときあるひは鶏の雛を売つて生計を立ててゐるかも知れない。けれども年寄といふものは必ずしも世の中の不如意を託 ( かこ ) つてゐるとは限らないものである。僕は自分の越し方をかへりみて、好きだつた人のことを言葉すくなに語らうと思ふ。そして僕の書いたものが、すこしでも僕といふものを代弁してくれるならば、それでもいゝとしなければなるまい。僕の書いたものが、僕といふものをどのやうに人に伝へるかは、それは僕にもわからない。僕にはどんな生活信条もない。たゞ愚図な貧しい心から自分の生まれつきをそんなに悲しんではゐないだけである。イプセンの「野鴨」という劇に、気の弱い主人公が自分の家庭でフリュートを吹奏する場面があるが、僕なんかも笛でも吹けたらなぁと思ふことがある。たとへばこんな曲どうかしら。「ひとりで森へ行きませう。」とか「わたしの心はあのひとに。」とか。まゝ母に叱られてまた恋人からすげなくされて、泣いてゐるやうな娘のご機嫌をとつてやり、その涙をやさしく拭つてやれたなら。

 誰から贈物をするやうな心で書けたらなあ。

 

 もはや二十年の昔になるが、神楽坂の夜店商人の間にひとりの似顔絵かきがゐた。まだ若い人で、粗末な服装をしてゐて、無精ひげを生やした顔を寒風にさらしてゐた。微醺をおびてゐることもあつた。身本に並べてある絵の中にはその人の自画像もあつて、それには「ひよつとこの命」と傍書してあつた。僕はその頃暖かいマントに身を包み、懐ろには身分不相応な小遣ひさへ持つてゐた。その人もいまはあるひは偉い大家になられたかも知れぬのだが、僕はいま自身にひよつとこの命を感じてゐる。

 

 僕はいま武蔵野市の片隅に住んでゐる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり散歩をしたりしてゐるうちに、日が暮れてしまふ。それでも散歩の途中で、野菊の咲いてゐるのを見かけたりすると、ほつとして重荷の下りたやうな気持ちになる。その可憐な風情が僕に、「お前も生きて行け。」と囁いてくれるのである。

 

 僕は外出から帰つてくると、門口の郵便箱をあけて見る。留守の間になにかいゝ便りが届いてゐはしまいかと思ふのである。箱の中はいつも空しい。それでも僕はあけて見ずにはゐられないのだ。

 

 こなひだF君からハガキが来た。移転の通知である。F君は北海道の夕張炭鉱にゐる。僕は終戦後、夕張炭鉱へ行つた。職業紹介所を通じて炭鉱夫の募集に応じたのである。F君はそのときの道連れの一人である。僕達は寒い最中に上野を立つた。僕達は皆んな炭鉱労務者の記号のついた腕章を巻いてゐたが、誰もが気恥しさうにしてゐた。汽車の中は窓硝子が無くて代わりに板が打ちつけてあるところもあつて寒かつた。僕が寒さに震へながら、向ひに腰かけてゐるF君の防寒用に被つてゐる防空頭巾の内に覗いてゐるその素直な眼差しに、ときどき思ひ出したやうに見入つた。僕達はその日初めて見知った仲なのだが、F君は僕に云つたのである。「稼いだらまた東京に戻つてきませうね。」F君のそのなにげない言葉が、そのときの僕の結ぼれてゐた気持ちを、どんなに解き放してくれたことか。

 夕張は山の中の炭鉱町である。一年の半分は雪に埋もれてゐる。ひとくちに云つて、寂しい処である。僕はそこで心細い困難な月日を送つたといふ以外、格別なことはなにもなかつたのだが、僕は郷愁を感じてゐる。刑務所にゐた者には出所してから、旧の古巣のことをふと懐かしく思ふことがあるさうである。殊に娑婆の風が冷たかつたりすると。僕の夕張に対する気持ちには、それに似たものがあるかも知れない。

 土地の気風は概して他国者に親切である。内地から出かけた人の中には国から妻子を呼び寄せたり、または土地の女といつしよになつて住み着く人も少なくない。

 僕は思つたより早く東京へ帰るやうになつたが、F君は夕張に残つた。F君はうらはには云はなかつたが、そこで所帯を持つ心づもりらしかつた。F君は云つた。「どこにふるさとがあるかわかりませんね。」僕達は早い話が内地を食ひ詰めて出かけて行つたのだが、僕はF君のやうな大人しい人があんな僻地でどうやら意中の人を見出したらしい様子なので、そのために一層F君が好ましく思つた。

 F君にはひとと争ふ心がすこしもなかつた。F君はまた「凡の真実は語るに適せぬことを、云はぬがよいことを承知してゐる」人であつた。僕はF君となら一つ家に偕に暮らしても、氣まづくなる心配はないと思つてゐる。こんなことを云つたら可笑しいだらうが、若しもF君が女だつたら、僕はお嫁にもらつたかも知れない。

 F君からのハガキには、F君が僕達のゐた寮を出て、近くに新築された長屋に入ったことを知らせてあつた。「私たちも元気です。」とそれだけしか書いてない。F君らしいひかへ目な新生活の報知であつた。

 夕張の駅は山峡にある。両側の山の斜 ( なぞへ ) には炭鉱夫の長屋が雛段を見るやうに幾列も並んでゐる。夜、雪の中にこの長屋に灯のついてゐる光景を眺めることは、僕達に旅の愁ひを催させたものである。僕はいま追憶の山の上にF君たちの灯を一つ加へた。

 

 「秋ふかき隣は何をする人ぞ」

 僕の家の便所の窓からは塀越しに隣家の庭と座敷が見える。座敷の中には大抵いつも一人の青年が机に向かつて椅子に腰をかけて本を読んでゐる。この家は母親と息子であらうその青年との二人暮らしのやうである。母親は五十位の年輩で青年は二十二三位。ひつそり住みなしてゐる感じで、話声が聞こえることもない。二人が偕にゐるところを見かけることも殆どない。僕は元来物見高い方ではないし、ぶしつけに他人の垣の内を覗くわけではないのだが、便所に入るとつい窓越しに眼に入つてくるのである。縁側の硝子戸が閉まつてゐて内にカーテンが引かれてゐることあるが、大抵いつも独り青年が机に向かつてゐる姿が眺められる。そしてそのさまが僕の眼を惹くのである。青年は書物の上に俯いてゐることが多く、僕に見られてゐることには気づかない。僕は便所に入ったとき、青年の姿を見かければ、いつも一寸視線をその顔のうへに止める。僕はなぜその青年の顔が僕の眼を惹くのか、心に問うてみた。一言にして言へば、擦れてゐないからである。僕はかつて鴎外の「青年」といふ小説を読んだとき、よくわからなかつた。なぜ鴎外はこんな若き燕然とした柔弱児を描いて、而もそれに「青年」といふ題名をつけたのだらうと不審に堪えなかつた。最近読み返して眼のあく思ひをした。この作品の冒頭の部分に継ぎのやうな一行がある。「ませた、おちゃつぴいな少女の目に映じたのは、色の白い、卵から孵ったばかりの雛のやうな目をしてゐる青年である。」鴎外はかういふ青年の像を描こうとしたのである。それはまさしく青年であつて、若き燕などと云ふものですなかつた。泰西名画に「笛を吹く少年」とか「縄とびをする少女」とかいふのがある。隣家の青年は僕にとつてはさしづめ「本を読む青年」でしかない。決してその平面図から抜けて出て、僕の生活図形に入ってくることはないであらう。けれどもその静かな生活のたゞずまひの中にゐる青年の無心なさまを眺めると、たとへは光を浴び風にそよぐポプラの梢を仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるやうに、僕の心に伝はつてくるものがある。

 ときたま道で行き逢ふこともある。お互ひ隣同士なことは知つてゐるが、僕達は挨拶などはしない。知らん顔をしてゐる。無言で擦れ違ふだけである。名前も知らない。標札なざには眼を向けて見ないのである。

 

 牛乳一合

 うどん一斤。

 卵二つ。

 味噌二百匁。

 はうれん草。

 

 僕はいま自炊の生活をしてゐる。それでも七輪や鍋、薬缶、包丁、俎板、茶碗などが揃つたのはつい最近のことである。そしてどうやらいまのところはこの生活を維持してゐる。けれども僕の不安定な生活も久しいものである。いつこの生活が突き崩されるか、それは図り知れたものではない。恒産なければ恒心無しと云ふではないか。いつどんなへまをしでかすか、僕にはとても自分が信用出来ないのである。所帯道具がふえたぢやないかと笑つた人があるが、たとへば僕が一羽の燕であるとすれば、僕にとつて七輪や鍋がその巣を造るために口に銜 ( ふく ) んでくる泥や藁しべの類ひに相当するであらう。そして僕に養う子供がないにしても、僕としてはやはり自分の巣は営まなければならない。僕はひとが思ふほどには、また自分からひとに話すほどには、新水の勞を億劫にはしてゐない。そんなにいやでもない。僕の一日などは大抵無為のうちに暮れてしまふのだが、「無為」でないのは睡眠といふ営みを別にすれば、その時間だけである。そして僕にはそれに費やされる時間の長さが有難いのだ。僕はそれをひどくスローモーションにやるわけなのだから。たとへば母親から慰められずに置き去りにされた子供が独りで玩具を弄んでゐるうちらいつか涙が乾いてくるやうに、米を磨いだり菜を刻んだりしてゐると、僕の気持ちもやうやく紛れてくる。僕はうどんが煮える間を、米が炊ける間を大抵いつも詩集を繙 ( ひもと ) く。小説なんかよりはこの方が勝手だから。こんな詩を見つけたりする。

 

 夕方が傾き

 村から日差しが消える時、

 村から村へ暗がりを訴える

 やさしい鐘の響が伝はつてゆく。

 

 まだ一つ、あの丘の上の鐘だけが

 いつまでも黙つてゐる。

 だが今それは揺れ始める。

 ああ、私のキルヒベルクの鐘が鳴つてゐる。

            ( マイヤア「鎮魂歌」高安国世訳 )

 

 この詩はまた僕の心を鎮めることにも役立つ。そして僕の心を遠く志したものに、はるかな希望に繋いでくれる。

 

 僕は一日中誰とも言葉を交わさずにしまふことがある。日が暮れると、なんにもしないくせに僕は疲れてゐる。一日だけのエネルギーがやはりつかひ果されるのだらう。額に箍 ( たが ) を締められたやうな気分で、そしてふと気がつく。あゝ、けふも誰とも口をきかなかつたと。これはよくない。きつと僕は浮腫だやうな顔をしてゐるに違ひない。誰とでもいゝ。そしてふたこと、みことでいゝのだ。たとへばお天気の話などでも。それはほんの一寸した精神の排泄作用に属することなのだから。

 

 僕は自分では酒は嗜まないが、それでも酒を呑む人の気持ちがわかるやうな気がする。人恋しい気持ちに誘はれて、呑み屋の暖簾をくゞつて、そこに知つた顔を見つけたときの愉しさは格別なものがあらう。

 僕にはつい遊びに出かけるやうな処もない。それに雀の巣に燕が顔を出したとしたら、それは闖入者といふことになりはしないだらうか。雀の家庭には雀の家風といふものがあるだらうから。そしてそれはやはり尊重しなければならないだらうから。それでもお伽噺なんかにはよくあるではないか。雀が燕の訪問を歓迎する話が。

 その人のためになにかの役に立つといふことを抜きにして、僕達がお互ひに必要とし合ふ間柄になれたなら、どんなにいゝことだらう。

 僕の家から最寄りの駅へ行く途中に芋屋がある。芋屋と云つても専門の芋屋ではない。爺さんが買出しに出かけて担いできたやつを、婆さんが釜で焼いて売つてゐるのだ。僕は人に会ひたくなると、ときどきそこへ出かけて行く。小さいバラツク建ての店の中に、一人腰かけられる位のところに茣蓙 ( ござ ) が敷いてあつて、客が休めるやうになつてゐる。お茶の接待もある。気が置けなくて、僕などには行きやすい。僕は行くといつも芋を百匁がとこ食べて、焙じ茶の熱いやつを大きな湯呑にお代りをする。僕のほかに客があることは殆どなく、その小さい店の中にはお婆さんと僕だけで、僕はとてもアット・ホームな気がして、くつろいでしまふ。そのお婆さんがとてもいゝのだ。年頃はまだ七十にはなるまい。もしかすると六十を幾つも越してゐないかも知れない。髪はそれわど白くはない。それでも腰が少し曲がつてゐるし、顔も萎びかけてゐる。年よりも早く老け込んでしまふやうな生活を送つてきたのだらう。お婆さんの顔を見ると、その声をきくと、お婆さんがやさしい善良な心根の人だちいふことがすぐわかる。その人の生まれつきの性質といふものは、年をとつても損なわれずに残つてゐて、やはりその人をいちばんに伝へるものではないだらうか。殊に単純で素朴な人達の間では。僕にはお婆さんの顔が正直といふ徳で縁飾りをされてゐるやうに見える。屋婆さんは秤で芋を計つてくれてから、焙じ茶の入つた薬缶を僕のそばに置いて、田舎なまりのある口調で、「勝手に注いであがつて下さいよ。」と云ふ。お婆さんと向ひ合つてゐると僕はとても安気で、お茶をなん杯もお代りして呑む。お金を置くと、「どうも有難うございました。」と云ふ。人柄といふものはをかしなもので、こんななんでもない挨拶にも実意が籠つてゐる。つひぞ相客のあつた験しはないが、結構商ひはあるのだらう。お婆さんが僕に世間話をしかけることもない。僕もまた黙ってゐる。たゞ芋を食つてお茶を呑んでくるだけである。それでも僕の気持ちは慰められてゐる。

 いつか夜風呂の帰りにお婆さんに行逢つた。やはり風呂に行くところらしく、手拭をさげてゐた。

 

 僕にはもう一軒行くところがある。

 僕は最近ひとりの少女と知合ひになつた。彼女は駅の近くで「緑陰書房」といふ古本屋を経営してゐる。マーケットの一隅にある小さな床店で、彼女は毎日その店へ、隣町にある自宅から自転車に乗つて出張してくるのだ。

 彼女は新制高校を卒業してから、上級の学校へも行かずまた勤めにも就かず、自ら択んでこの商売を始めた。父兄の勤めに由つたのではなく、彼女ひとりの見識にもとづいてしたわけで、はたちまへの少女の身としてはまづ健気と云つてもいゝだらう。「よくひとりで始める気になつたね。」僕が云つたら、彼女はべつに意気込んだ様子も見せず、「わたしはわがまゝだからお勤めには向かないわ。」と云つた。

 紫色の細いバンドで髪を押へてゐるのが、化粧をしない生まじめな顔によく映つて、それが彼女の場合は素朴な髪飾りのやうにも見える。おそらく快楽好きな若者の目には器量よしに映るまい。自転車に跨つてゐる彼女の姿は宛然 ( さながら ) 働きものの娘さんを一枚の絵にしたやうだ。

 先年没したDといふ小説家は、自分にし訪問 ( ヴィジッド ) の能力がないと零してゐたが、僕などもそのお仲間らしい。第一に他人の家の門口の戸をわが手であけるといふことが既に億劫だ。彼女の店は商売柄客に対していつも門口が開放してあるのでつい入りやすいから、僕はときどき立寄つて店の営業妨害にならない程度に話をしてくる。

 僕はまた彼女の店の顧客である。主として均一本の。僕はまだ彼女の店で一度に五拾円以上の買物をしたことがない。僕が初めて、彼女と近づきになつたのも、均一本の中に「聖フランシスの小さき花」と「キリストのまねび」を見つけたときだ。彼女は「小さき花」の奥附がとれてゐるのを見て、拾円値引をしてくれて、二冊で五拾円にしてくれた。僕はいまの人が忘れて顧みないやうな本をくりかへし読むのが好きだ。僕はときどき彼女の店に均一本を漁りに行くやうになり、そのうち彼女と話を交はすやうにもなつた。彼女の気質が素直でこだはらないので、僕としてもめづらしく悪びれずに話すことが出来るのだ。そしてそれが僕には自分でもうれしい。大袈裟に云へば、僕は彼女の眼差しのうちら未知の自分を確認するやうな気さへしてゐる。かうして僕に思ひかげなく新しい交友の領域がひらけた。

 彼女と僕が話してゐるのをよそ目に見たら、大分了解の届いた仲に見えるかも知れない。僕としてもつきあひの短いわりにはお互ひに気心が分つたやうな気がしてゐる。彼女は僕のことをこだはりなく「をぢさん」と呼んでゐる。彼女から見れば僕などはをぢさんに違ひない、またをぢさん以外の何物でもあるわけがない。彼女からをじさんの御商売は? と訊かれて、僕は小説を書いてゐると答へた。靴屋ならば靴をこしらへてゐると答えるだらうし、時計職ならば時計を組立ててゐると答えるだらう。たゞ僕の場合はまだ文芸年鑑にも登録されてゐないし、一冊の著書さへなく、また二三書いたものを発表したこともあるが、その雑誌もいまは廃刊してゐる。けれども若しそんなことで僕が悪びれたりしたなら、その小さな店で敢闘とてゐる彼女に対しても、男子の沽券にかゝはることだらう。自分で小説書きを標榜 ( へうばう ) する以上、上手下手はべつとして、僕としては仕事に励む気になつてゐる。

それに応じて仕事そのものが精を出してくれたなら、申し分ないのだが。彼女は商売柄、「日々の麺麭 ( パン ) 」といふ僕の旧作が載つてゐる雑誌を見つけ出してきて読んでやうだが、云ふことがいゝ。「わたし、をじさんを声援するわ。」

 僕としては思ひがけない知己を得たわけであるが、彼女はどうやら僕を少し買被つてゐるふしが見える。僕の書いたつまらないものが、彼女にそんな思ひ違ひをさせたのならば、僕としては後ろめたい気がする。ひとつは僕の服装の貧しさがなにか曰くありげに見えるのかも知れないが、これはたゞ僕に稼ぎがないだけの話である。彼女はなかなかの勉強家で店番をしながらロシア語四週間などといふ本を読んでゐるが、その本の中に「貧乏は瑕瑾 ( かきん ) ではない。」といふ俚諺 ( りげん ) を見出して云ふことには、「わたしね、それを読んで、をじさんのことを聯想したわ。」ひどい買被りである。それは僕にだつて、肉体の飢ゑを精神の飢えに代へて欲しい本を手に入れてそれに読み耽つた思ひ出がないことはない。僕はかつてハムスンの「飢ゑ」といふ小説を読んだとき、主人公が苦境に在つてよく高邁 ( こうまい ) の精神を失はないことに感心した。僕にはとてもあの真似は出来ない。この俚諺はそのまゝ熨斗をつけて彼女に返上した方がいゝ。午前中は自転車に乗つて建場廻りをし、店をあけてからは夜九時過ぎまで頑張り、店番の暇には語学を勉強したり、幼い弟の胴着を編んでやつたりしてゐる彼女の懸命な生活の姿こそ、この言葉はふさはしいであらう。

 彼女は自分のことを「わたしは本の番人だと思つてゐるの。」と云つたことがある。彼女は商品の本や雑誌をとても丁寧に取扱ふ。仕入た品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙 ( やすりがみ ) や消ゴムで汚れを拭きとつたり、鏝 ( こて ) で皺のばしをしたり、破損してゐる箇所を糊づけしたりしてゐる。見てゐると、入念に愛撫してゐるやうな感じを受ける。

 彼女の店の商品の値段は概して安い。「わたし、あまり儲けられないの。本屋つて泥棒みたいですわ。」と云つてゐる。たまに堀出しものなんかすると、かへつて後で気持ちが落着かないといふ。塵も積もれば山となる式の細かい商法が好みらしい。彼女の店は月にして約二万の売上げがあり、儲けは七八千円位ださうである。開店以来六ヶ月にしてやうやくそれまでに漕ぎ着けたといふ。彼女はそのことを、林檎の頬を輝かせて澄んだ眼差しで僕に告げた。僕はそのとき彼女から自己の記録を保持するために懸命の努力をつゞけてゐる選手のやうな印象を受けた。彼女はそのために定期の市のほかに、毎日自転車に乗つて建場や製紙原料屋までを駆けずり廻つてゐるのである。僕は一体に男のおほまかよりは女のつつましさの方に心を惹かれる。

 こなひだ彼女から贈物をもらつた。

 十月四日は僕の誕生日である。僕はそのことをなにかの話のついでに彼女に告げたらしいのだが、彼女は覚えてゐて、その日ぶらりと彼女の店に立寄つた僕に贈物をくれると云ふのである。

「均一本のお客様に対してかね。」

「いゝえ。一読者から敬愛する作家に対してよ。」

「へぇ。なにをくれるの?」

「当ててごらんなさい。わたし、これから薬屋に行つて買つて来ますから、をぢさん、一寸店番しててね。」

 彼女は銭箱から五拾円紙幣を一枚掴み出して店を出て行つた。なにをくれるつもりだらう。口中清涼剤だらうか。まさか水虫の薬ではあるまい。待つ間ほどなく彼女は戻つてきて小さい紙袋を僕にくれた。

「あけていゝかい?」

「どうぞ。」

 あけると中から耳かきと爪きりが出てきた。なるほど。僕にはそれがとても気のきいた贈物に思へた。金目のものでないだけに一層。

「これはどうも有難う。折角愛用するよ。」

 彼女は笑ひながら僕に新聞紙大の紙をひろげて寄こした。見るとその月の少女ざっその付録で、彼女の指示した箇所には十月生まれの画家、詩人、科学者などの名が列記してあつて、そのはじめには、「十月四日生。ミレー ( 一八一四年 ) 、『晩鐘』や『落穂拾ひ』また『お母さんの心づかひ』を描いたフランスの農民が貨。」としてあつた。

 

 以上が僕の最近の日録であり、また交遊録でもある。実録かどうか、それは云ふまでもない。

( 昭和二十七年四月 )