まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

滿支一見 ~ 1 宿望  著:里見弴

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 都会人、――たゞ都会に住んでいるというだけでなく、何代かを或る都市に住みついて來た人間は、兎に角旅を億劫がる傾向があると云ふが、成程さうかも知れない。すぐ思ひつくところで、久保田万太郎君、最近新聞種になった鏑木清方氏の関西遠征の大奮発など、数えあげたらまだまだいくらも例はあろう。私は、親の第からの移住民で、無論それほどの出不精ではないが、然し男の兄弟四人まで、皆それぞれに外國の旅をして來てゐるなかに、自分一人だけは、ついぞ日本の土地から足を踏み出す折がなかった。行ってみたくないこともないのだし、その暇が見出せないほど自分の仕事に没頭しきってゐたわけでもないので、考えてみれば、結局億劫がりの性分から來てゐるのだ。氣のおけないいゝ連れでもあったら、――ちょっとした旅にも、すぐそんなことを考へる方で、慥(たしか) に尻は重い。

 

 一遍支那へ行ってみよう、――この話がいつからのことかといふに、大正十四年の暮尾(くれ) に、いづれも奮い友達の志賀直哉、黒木三次、田中平一、それに私、かう四人で山陰の温泉をあちこち廻って、大社から小郡(おごおり) にぬけて歸ったことがあるが、その旅が、暢気で、誠に楽しかったことから、近々にまたこの顔ぶれで、今度はもうちっと遠くへ、―――そう、支那あたりまで出かけないか、と誰が云ひだしたともなく相談だけは即座に決まって了ったのだ。その時には、氣忠實(きまめ) な黒木を團長に祭りあげて、旅程、宿屋の選擇など面倒なことは一切やって貰ひ、落ちつき佛って、ものごとに間違ひや忘れっぽいやうなところのない田中が會計で、志賀は、せしぜい睨みでも利かせるよりほかにあまり脳がないといふので、用心棒、私が宴會係り、―――無理に押しつけ合ったりしないでも、自然さういふ役割になって來るところが、奮い友達の有難さで、近来こんなにのうのうとした氣樂な旅をしたことがないと、誰もみんなさう云った。で、すぐ圖に乗ってきまった支那なのだが、そこがまた暢気やのお揃ひで、來年の春あたり、とか、今年の秋は、とか、顔を合すたんびに、そんな話だけはしあふのだが、さて、來る何月何日、どこそこ集合、ときっぱり號令をかけてくれる發頭人がないところから、づるづりべったりに、いつか五年ばかり經って了った。その間に團長の黒木が、貴族院議員に選ばれて、體に暇がなくなったり、私は新聞の仕事で動けない時があったりして、とてもこの顔ぶれで出かけるあてはなささうになって來た。

 

 そこへ滿鐵から招聘の話が來た。志賀、佐藤春夫、私、三人で來ないか。當方の負擔はこれこれ、そちらの義務はこれこれ、と具體的に聞かされて決して惡い話ではなかった。何事によらず、義務づけられることに大嫌ひな志賀でさへ、―――少しは愚図々々云ったらしいが、結局承知した。先方の負擔は公表する必要はない。こっちの義務は、歸ってから新聞なり雑誌なりで、旅行記を發表すること、それの再録權は滿鐵が保有すること、―――たゞそれだけだ。即ち今この文章を書いてゐることが、その義務の遂行にほかならないのだ。なんと樂しい義務よ!

 

 本業の小説は、今もって、樂しんで書く、といふ境地へは遠く及ばないで、始終うんすう、うんすう苦しんでゐるが、樂しかった旅を追想しつゝ、輕い氣持で紀行を綴るのなら、いくらでも、…然し、さうは、讀者の方でお困りかも知れないが…。

 

 折惡しく、佐藤君は、大阪朝日の小説にかゝらなければならない時機にあたったので、同行することが出來なくなったが、私は、同じ新聞の年一杯の仕事を、おそくも暮尾(くれ) の二十日までに仕上げて、京都で志賀と落ち合ひ、いよいよ年來の宿望を遂げようといふ段取りがついたのは、去年 ( 昭和四年 ) 十一月の初め頃のことだった。