まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

「灰色の月」 著:志賀直哉

底本:自選小説集『雪の日』新潮社
1948年(昭和23年11月6日)刊 p.365より
 

 東京驛の屋根のなくなつた歩廊に立つてゐると、風はなかつたが、冷え冷えとし、著て來た一重外套で丁度よかつた。連の二人は先に來た上野まはりに乗り、あとは一人、品川まはりを待つた。

 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしてゐた。月は十日位か、低く、それに何故か近く見えた。八時半頃だが、人は少く、廣い歩廊が一層廣く感じられた。

 遠く電車の頭燈が見え、暫くすると不意に近づいて來た。車内はそれ程込んでゐず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出來た。右には五十近いもんぺ姿の女がゐた。左には少年工と思はれる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ眞横を向いて腰かけてゐた。その子供の顔は入つて來た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上體を前後に大きく揺すつてゐた。それは揺すつてゐるのではなく、身體が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰り返してゐるのだ。居睡にしては連續的なのが不氣味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけてゐた。

 

 有楽町、新橋では大分込んで來た。買出しの歸りらしい人も何人かゐた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って來た特別大きなリュックサックを少年工の前に置き、腰掛に着けて、それを跨ぐやうにして立つてゐた。その背後から、これもリュックサックを背負つた四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くやうにして、「載せてもかまひませんか」と云ひ、返事も待たず、背中の荷を下ろしにかかつた。「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇ふやうにして男を振返つた。

「さうですか。済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられさうもないので、狭い所で身體を捻り、それを又背負つて了つた。

 若者は氣の毒に思つたららしく、私と少年工との間に荷を半分かけて置かうと云つたが、

「いいんですよ。そんなに重くないでんですよ。邪魔になるからね。おろさうかと思つたが、いいんですよ」さう云つて男は輕く頭を下げた。見てゐて、私は氣持よく思つた。一ト頃とは人の氣持も大分變つて來たと思つた。

 

 濱松町、それから品川に來て、降りる人もあつたが、乗る人の方が多かつた。少年工はその中でも以前身體を大きく揺すつてゐた。

「まあ、なんて面をしてやがんだ」といふ聲がした。それを云つたのは會社員といふやうな四五人の一人だつた。連れの皆も一緒に笑ひだした。私からは少年工の顔は見えなかつたが、会社員の云ひかたが可笑しかつたし、少年工の顔も恐らく可笑しかつたのだらう、車内には一寸快活な空氣が出來た。

 その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、

「一歩前ですよ」と小聲で云つた。

男は一寸驚いた風で、黙つて少年工を見てゐたが、

「さうですか」と云つた。

笑った仲間も少し變に思つたらしく、

「病氣かな」

「酔つてるんぢやないのか」

こんな事を云つてゐたが、一人が、

「さうぢやないらしいよ」と云ひ、それで皆にも通じたらしく、急に黙つて了つた。

 地の惡い工員服の肩は破れ、裏から手拭で繼ぎが當ててある。後前に被つた戦闘帽の廂の下のよごれた細い首筋が淋しかつた。少年工は身體を揺すらなくなつた。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を摺りつけてゐた。その様子が如何にも子供らしく、ぼんやりした頭で板張を誰かに假想し、甘えてゐるのだという風に思はれた。

「オイ」前に立つゐた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何所まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかつたが、又同じ事を云はれ、

「上野へ行くんだ」と物憂さうに答へた。

「そりやあ、いけねえ。あべこべに乗つちやつたよ。こりやあ。澁谷の方へ行く電車だ」

 少年工は身體を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失ひ、いきなり、私に倚りかかつて來た。それは不意だつたが、後でどうしてそんな事をしたか不思議に思ふのだが、其時は殆ど反射的に倚りかかつて來た少年工の身體を肩で突返した。これは私の氣持を全く裏切つた動作で、自分でも驚いたが、その倚りかかられた時の少年工の身體の抵抗が餘りにも少なかつた事で一層氣の毒な想ひをした。私の身體は今、十三貫二三百匁に減つてゐるが、少年工のそれはそれよりも遥かに輕かつた。

「東京驛でゐたから、乗越して來たんだ。――何所から乗つたんだ」私はうしろから訊いて見た。

 少年工はむかふを向いたまま。

「澁谷から乗つた」と云つた。誰か、

「澁谷からぢや一トまはりしちやつたよ」と云ふ者があつた。

 少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聴きとれる低い聲で、

「どうでも、かまはねえや」と云つた。

 少年工のこの獨語は後まで私の心に殘つた。

 近くの乗客達も、もう少年工の事には觸れなかつた。どうする事も出來ないと思ふのだらう。私もその一人で、どうする事も出來ない氣持だつた。辯當でも持つてゐれば自身の氣休めにやる事も出來るが、金をやつたところで、晝間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食物など得るあてはなかつた。暗澹たる氣持のまま澁谷駅で電車を降りた。昭和二十年十月十六日の事である。