まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

「ジガ蜂」 著:島木健作

1945年( 昭和21年 )3月

 

 初夏と共に私の病室をおとづれる元氣な訪問客はジガ蜂である。ジガ蜂の颯爽たる風姿はいかにもさかんな活動的な季節の先駆けたるにふさはしく、沈んだ病室内の空氣までがにはかに活氣を帯びて來るやうに思はれるのだつた。彼等は一刻もぢつとしてゐるといふことを知らない。飛んでゐる時は勿論、とまつてゐる時も溢るる精氣に絶えず全身を小刻みにキビキビ動かし續けてやまない。胸から腹に續くところは糸のやうに細く、全体に細長い胴体はスマートで一見華奢のやうに見えるが、その實しんなりと硬く強靱で、あの細腹にしてからが棒切れぐらゐで引きちぎらうとしてもさう簡單に引きちぎれるものではない。色も鋼鐵のやうな光りをもつてゐて、眞黒といふよりは青光りのする美しさである。翅も日の光を受けると紫色に輝いて美しい。病室の障子窓からすぐ手の届く所へまで枝を張つてゐる柿の木が、白い小さな花をぽたぽた落す間を、一刻を惜むやうに忙しげに飛び移つてゐる蜜蜂は、ジガ蜂にくらべるとただ善良な律儀者にしか見えなかつたし、山賊のやうな熊蜂は鈍重な愛嬌者であつた。贅肉を持たぬひきしまつた体のジガ蜂は事実闘志に満ちた精悍な奴でもあつた。ある時、今天井に舞ひ上つたと見たジガ蜂が、「ぶあん」といふやうな翅音とも思へぬやうな大きな音を立てたかと思ふと、急降下で、一直線に落ちて來たことがあつた。それが寢てゐる私の枕もとであつた。その瞬間は、さつきのジガ蜂とも知らず、何か黒いつぶてのやうなものが落ちて來ると思つた私は、顔に眞直ぐ來るやうな気がして、思はず右手をあげて払つた。ぶーんと飛んで行つたのでジガ蜂だといふことを知つた。そして彼が急降下で落下したところには、肥えふとつた大きな虻がだらしなく足をすくめてころがつてゐた。つついてみると痙攣でも起してゐるらしい恰好で、しばらくは動けなかつた。この虻の大きな図体の上に馬乗りになり、肢でも首でも尻でも身体全体で抱へ込むやうにし、攻撃を加へながら毬のやうになつて落下して來たのである。
 またある時は軒下に張られた蜘蛛の巣に引つかかつたジガ蜂を見たことがあつた。蜘蛛の巣はまだ新しくほころびてもゐなかつた。ジガ蜂は引つかかつたなと思ふと、ぶるんと激しく足ぶるひして次の瞬間にはもう器用に抜け出して、そんなことがあつたともいはぬやうな顔で高い夏空さして飛んで行つた。あツといふ間のことで、よき獲物ござんなれと、上の方にゐて狙つてゐた蜘蛛がするすると下りて來る間もなく、蜘蛛もあつけに取られた形だつた。その迅速果敢が、いかにもジガ蜂らしかつた。
 それにしても私のこの部屋にはなんといふ澤山な彼等なのだらう。入れ代り立ち代り忙しげな彼等には此頃急にふえて來た蝿共の數も及ばない。「大へんな蜂だなあ。」見舞に來た友だちがふと氣づいて眼を見張るほどである。何か特別に彼等に好かれる理由でもあるのだらうか?
 私の部屋の障子窓の柱や鴨居などには、小さなまるい穴が幾つも幾つもあいてゐる。それが何であるか、いつどうしてできたものか、私は今まで一向氣にもとめなかつた。百姓家を改造した古い家だからそんな穴ぐらゐは当然だと、何が当然か考へても見ずに思つてゐた。それが毎日寢てゐるやうになつてはじめてその穴とジガ蜂とに特別な關係があるらしいことに氣づいて來た。部屋に飛んで來て障子や柱にとまつたジガ蜂は、何かを求めるかのごとく、くるくると歩きまはりつつ、その穴を見つけると必ずそのなかへ入つてみる。一度ならず四度も五度も出たり入つたりする。穴のまはりを仔細ありげにぐるぐると廻る。また入る。また出る。そのうちに穴のなかから何かゴミのやうなものを運び出してくる。ゴミのなかには何かの虫の翅の切れはしのやうなものもまじつてゐるらしい。穴は體長八分ぐらゐの彼等の體がすつぽりとかくれてしまふくらゐの深さはあるらしい。さうやつてかなり長い時間かかつて穴の清掃を終へたと思ふと、ジガ蜂は戸外へ飛び去つて行つた。そしてまた歸つて來た時に、私は彼が肢の間に何かをかかへこんでゐるのを見た。それは何か羽のある小さな蟲のやうだつた。彼はそれをかかへこんだまま穴のなかへ入つて行つた。獲物を押し込み終ると、すぐ飛び去つて行き、やがてまた新たないけにへをくはへて歸つて來た。今度のはジガ蜂自身の體ほどもある大きさのもので、よく見るとバツタの小さな奴らしかつた。ジガ蜂はかなり長くかかつてそれを穴へ突つ込んだ。三度目。今度のは何か青蟲のやうなものだつた。あれらがみんな押し込められるとすれば、穴はかなり深く、恐らくは斜にうがたれ、奥は房のやうになつてゐるのだらう。ジガ蜂はまた飛び去つて行つたが、それは夏の日ももう間もなく暮れようとする頃だつた。そして彼はその日はそれきり歸つて來なかつた。
 翌朝、私が朝飯をすました頃には、彼はもうやつて來てゐた。それまでにもう彼が昨日のやうなことを繰り返したかどうかはわからない。私が見た時には、穴のある柱のまはりを、何か警戒でもするらしくしきりに動きまはつてゐた。遠くから段々距離を狭めつつ慎重な態度で穴まで来ると、今までのやうに頭からでなく、逆に尻の方から穴のなかへ入つて行つた。しかし全身をすつぽりと入れ切ることなく、胴體だけを入れて止まり、上半身は外に出してゐるのである。
 しばらくそのままの恰好で彼は静かにしてゐた。ぢつとしてゐるやうではあるが、よく見てゐると、彼はただ無意味にさうしてゐるのではなくて、あるいとなみ――しかも彼にとつて重大ないとなみの最中にあることがわかるのである。時々かすかに體を動かしてみる。またぢつとする。ある一つ事に全身を傾けながら、しかも絶えず八方に眼を配つて危害を加へようとする者に向つて警戒してゐるらしい。死んだ時以外には動かぬ時が想像できなかつたやうな彼だけにことさら真剣な面持に見えた。たしかにこれは生命をかけたいとなみである。……そして漸く私にもわかつて來た。ジガ蜂は卵を生みつけつつあるのである。
 それはかなり長い時間だつた。漸くにして彼は出て來た。軽くなつたらしい尻を上げ下げする動作に重大な務めを終へたあとの安堵を見せながら、また穴のまはりをくるくると廻つた。それから飛び去つて行つた。また歸つて來た時に今度も彼は何かをくはへ込んでゐる。彼はそれをくはへたまま穴に首を突つこんでしきりに何かやつてゐた。穴はジガ蜂の體の陰になつて寝てゐる私からはよく見えなかつた。やがてジガ蜂が身を退けた時、私は驚いた。穴の入口は壁土のごときもので綺麗に塗り固められてしまつてゐる。白い美しい壁土である。それで私はさきに彼がくはへて來たのは土塊であり、自分の唾液か何かで溶いて塗り固めたのだといふことを知つた。それにしてもあの白さはどういふのだらう。土を練り上げる蜜の作用ででもあるのだらうか?
 ジガ蜂はさも満足気に触角を振りなどしてゐたが、やがて翅音も高く飛び去つた。
 翌日彼はまたやつて來た。そして異常なしと知るとすぐに飛び去つた。
 私はほかの穴を注意して見た。そしてそれらの穴々が、いつの間にか次々に塗り固められて行つてゐるのを見た。
 それは暑い八月の半ば過ぎであつた。ことに何十年ぶりとかの酷暑の年だつた。病氣の私は全く弱り切つてゐた。二日続きのジガ蜂の一挙一動を観察するのにさへも私はひどく疲れた。初夏の頃に私を喜ばせた彼等の活溌な挙動も、今はむしろ煩はしく、うるさかつた。それに彼等の活溌な行動が生殖のためだといふはじめから自明なことも、その時の私の氣分にはなじまなかつた。あの白い壁に何か細い棒を一本一本刺し込んでやつたらどんなものだらう……私はそんなことを空想した。病氣がもう少しよく、歩ける程度だつたら実際私はそれをやつたにちがひなかつた。來年卵がむしける頃、――さういふ時間が第一私には重苦しく思はれた。私には一ヶ月先を予想して何かを考へるのさへ、頼りなく思はれることがあつた。さうかと思ふと、十年二十年先を予想して大きな夢想に耽つてゐることがあつた。かういふ取り止めなさが病氣の惡くなりつつある証拠であると考へ、絶望の病人ほど大きな夢想に耽りがちだといふ定説を考へ、だがまたさういふことを一々自覚し反省してゐることに安心を覚えたりもするのであつた。
 やがて夏が過ぎ、秋も去り、冬になつた。賑やかだつた私の部屋の蟲どもも影を消した。だがなほそこに殘つてゐるものがあつた。冬の蝿は珍しくない。しかし冬のカマキリとか冬のカメムシとかいふものはどうだらう? 十二月初め頃までなら道ばたに足を引きずつてゐるヨボヨボしたカマキリを見ることがある。しかし私は一月も末になつてから障子につかまつてゐる彼を発見したのだ。あの臭ガメに至つては二月に入つてからあらはれた。彼等は何れも夏の青みを失つて――種類がちがふのかも知れないが――出来のわるい干葉のやうな色をしてゐた。臭ガメのあの臭い汁も今ではもう蒸発し切つてゐるやうだつた。午後になると私は日当りのいい南向きの障子窓にすぐ近くおいた籐椅子の上に寝に行く。すると彼等もいつの間にかそこの障子にやつて來てゐる。彼等は仲よくならんでゐる。私の顔と彼等とは一尺しか離れてゐない。日がかげるまで我々はさうしてほとんど身動きもしない。
 或日はまた、私が机の前の障子をあけた時であつた。パラパラと音がして何か小さな豆のやうなものが机の上にこぼれ落ちて來た。彼等はテンタウ虫であつた。彼等は群をなして越年するのに暖かい私の病室をえらんだのであらう。それからしばらく障子の上にも机の上にも本の上にも、到るところに黒地に真紅の色を染め抜いた日の丸を背負つた彼等の賑やかな行進が續いてゐた。彼等は私の寢床の上までも這つて來た。
 私はかういふものたちを伴侶にして冬を籠つた。その間にも病氣は一進一退した。
 また暖かい季節が巡つて來て、ある日私はあの元氣な、なつかしい、ぶーんといふ翅音を聞いた。私ははつと思つて、胸のときめきをさへ感じた。私はジガ蜂のことをすつかり忘れてしまつてゐた。私は急に思ひ出して、去年のあの白壁塗りの穴を見た。私はそろそろと起き上つて行つて、近くに寄つてつくづくと見た。するとどうだらう、白壁の眞中にはいつの間にか小さな穴がすぽツとあいてゐるではないか。私はほかの白壁も調べてみた。そのどれもが、内から破られて以前の穴にかへつてゐた。
 私がさうしてゐる間にも一匹二匹と数を増して來たらしい飛ぶ蟲の翅音は立つてゐる私の周囲をめぐつて次第に高く強く聞えて來るのであつた。やがてその音は部屋うちに溢るるばかりに遍満して來た。私はその時はじめて衰へた心身にしみとほるばかりの生の歓喜を感じたのである。