まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

「焚火」について 志賀直哉~続創作余談から

「焚火」(1920年 大正9年 37歳)


前半は赤城山で書き、後半は四五年して我孫子で書いた。書いた時には如何にも書き足りない気がして止めて了つた。然し四五年して読むと案外書けてゐるやうに思はれ、後半をつけ、雑誌に出した。そして今では自分でも好きなものの1つになつてゐるが、昨年奈良の若い友達が赤城山へ行き、帰つてからの話に「焚火は好きなものでいいと思つてゐましたが、赤城に行つて読むと何だか非常に物足りない気がしました。どうも書き足りないやうに思ひました」と云ふ事だつた。此友達は初めて赤城へ行つて大変気に入つてゐた。私は友達の此感じは屹度本統だらうと思つた。これと同じではないが、十何年か前松江の方に加賀の潜戸( くけど )といふ所を見に行く途中、船の中でハーンの其処を書いた物を読みながら行つたが、書き方が如何にも誇張してあるやうで、私は少し満足しなかつた。所が実際其場へ行つて見ると、それ程強く書いてあつて、受ける感じから云へば未だ足りない位で、自然そのものはもつと強い力で迫つて来るのを感じた。そして自然から迫られるだけにそれを強く現さうとするのは大変な事だと思つた。そして作品によつては全体の調子に合し、それを和( やわら )げる方がいい場合もあると考へた。その場合々々の問題である。

(昭和3年7月)