まるさんの資料置場

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「城の崎にて」と「濠端の住まい」・改訂版

『城の崎にて』と『濠端の住まい』は姉妹関係にある作品である。描かれた舞台も一方は鳥取城崎温泉、他方は島根県松江城の濠端の住まいである。松江城の堀端は一時ラフカディオ・ハーンも住んでいたので文学にゆかりの場所ではある。任意に選ばれている感じがするとはいえ、城崎、松江、尾道、そして奈良の高畑、京の山科と、共通するものはある。何れも閑雅な風趣に満ちたところであり、志賀の経験した都市生活の対極にあることは分かるだろう。

しかし、志賀直哉は基本的には都会人であり上流社会の人間である。この点と彼の文学の関係については後にやや詳しく論じるであろう。彼は如何なる地域、地方にあっても自分自身の生活スタイルを崩そうとはしないであろう。この点、頑固とも一徹とも云えるのだが、この手の人間はそう云う意味で世界各国何処土地にあっても、何処を旅しても、本質的な変化をこうむると云うことがない。つまり冒険と云うものがない。現実と云うものとの出会いがないのだ。出会うのは何時も自分自身の影であって、異質の存在というものを理解することも想定することもない。彼らが語り書くものは何時も心象風景にならざるをえないわけである。つまり他者と云うものとの出会いと云うことが原理的に不可能なのだ。だから一般的に言われている紋切り型の文学史的表現を踏襲するとすれば、他者の存在を想定することなしに存立しえるのが我が国の私小説と云うものの特徴であるのだから、彼が当該の文学スタイルの名手と名指されるのもあながち理由がないわけではないのである。作家の内的キャパシティの狭隘なる領域の中に、他者や異質なものの存在を想定せず、井の中の蛙の世界を世界と同一視する文学、ことの当否をめぐって日本近代文学史の論客たちの間で過去随分と議論されてきたが、だからと云って私小説が文学ではない、と云う訳ではないのだ。むしろ彼の視野の狭さや社会的環境からくる本人も意識していない見方の偏りや無意識的なあり方が、単なる個人の見方、文学青年の観念の恣意性を脱している場合もある。私小説で云われる場合の疑似客観性とはそうした意味である。そして、それが文学にもなり得ることを、残念ながら認めないわけにはいかないのだ。

 この論考は表題にあるように、この二つの作品を論じることで、中期の志賀直哉の文学者としての変貌と定位をある程度説明できるのではないかと筆者は考えている。


 『城の崎にて』は、下宿屋の二階からみた蜜蜂の生態とある日忘れ去られたように屋根の上に転がった蜂の無残な死骸、それは雨の日跡かたもなく流されてし生きていたと云う痕跡すら失われてしまう。次に首に金串が刺さったまま川の流れに流され、必死に護岸の石垣に取りつこうとしながら、刺さった金串が災いしあるいはそれを見る野次馬たちの投げる石のつぶてを受けてあえなく転落する鼠の生きざまと死にざま、最後が殺すつもりはなくて投げた石のつぶてが当たって前のめりに死んだトカゲの不慮の、あっけない死である。

 物語の初めの部分で、語り手は同様な山手線での不慮の事故と、偶然ゆえに命が助かった幸運を述べているので、ここで鮮やかに生と死が交錯し、語られる叙事的世界と語り手の世界が明暗の対比を見せて小説としての纏まりを見せている。 『城の崎にて』が語っているのは、第一に自然界に存在する冷徹な論理と法則であり、如何なるものもそれを免れえない無常観である。


 第二に、人間界は自然の法則を免れているかと云えばそうでもなくて、不意の偶然性に晒されていると云う意味で、人間界も小動物界も別様ではあり得ず、この二つの世界が纏まりある均衡としてこの小説に完結性を与えていることは前に描いた。


 第三に、適者生存の世界では、弱者であればあるほど、またその生き方が必死であればある程、第三者の眼には滑稽にもユーモラスにも映ると云うイロニーである。作家としての志賀の見識は主観的にはそれを否定してみせるのだが、自然の論理や現実的世界の冷徹さをそれによって変えることが出来るわけではない。
『城の崎にて』は、死に傾斜した側から見た自然の世界であり無情の論理である。

 『濠端の住まい』は、矢守や蛾やカブトムシ、殿様蛙や葉蛙といった小動物と同居する如何にも隠者めいた生活が語られる。そこは濠端の水域を通じて鯉や鮒が時折音を立てる静寂の世界でもある。濠と云うよりも古池の風情である。隣家の地続きの路面を通って鶏がその雛たちも連れてくるリクレーションの場でもある。そしてある日事件と云うべきものが起きて、母鳥が猫に食われてしまう。親を亡くした雛鳥たちの生態を哀歓を持ってユーモラスに描きだす。鳥を飼っている隣家の持ち主である夫婦の怒りとその翌日に罠に捉えられた野良猫の無残な末路。猫はその晩一晩中、威嚇と哀願を交互に繰り返し、終いに静かになる。猫の処刑の記述はあえて避けて、日が高くなって起きた語り手の眼に見えたのは、野良猫が捉えられていた囮の箱が日干しされている不在の風景である。


 雨に流された蜂の残骸の不在、食い殺されて終いに飼い主のお菜になって切り捨てられた親鳥の首の無造作に放置された風景、そして夜中を語り手とともに唯一存在した固有な時間を共にした猫の不在。

 『濠端の住まい』は、死を描くことに於いてよりも、死がもたらした不在観を描くことに於いて卓越している。あるいは不在が語る日常は、小動物たちを描く志賀の生き生きとした生態、必死に、頼りなく寄る辺なく生きるものへの愛惜でもある。
『城の崎にて』は無常観を基調とするものであるのに対して、『濠端の住まい』は有情の世界を描いたものと、あえて特徴づければそう云えるであろう。

 『濠端の住まい』は、作中「私は此処で出来るだけ簡素な生活をした」とあるにもかかわらず、その朝食は「パンとバタと――バタはこの県の種畜牧場で出来る上等なのがあった。――紅茶と生の胡瓜と、時にはラディシの酢漬けが出来ている」とあるように、当時の一般庶民からはかけ離れたものである。


 『濠端の住まい』がみせるある種の安定感は、かかる階級的格差の前提上に成立するものであることに注意したい。そこは小動物がどのような運命に翻弄されようと、野良猫がどんな運命に曝されようと、それとは無関係に流れる作者の独自な世界から見られる点に注目したい。語る世界と語られる対象的世界の安定的な関係は、階級的・経済的、あるいは人間と生物世界の格差的あり方に大きく依存している。かかる天国と地獄を彷彿とさせるような二項関係の絶対的な固定化の上に以下のような語り手の述懐が来る。

「然し、事実はそれに対し、私は何事も出来なかった。指一つ加えられない事のような気がするのだ。こう云う場合私はどうすれはいいかを知らない。雛も可哀想だし母鶏も可哀想だ。そしてそう云う不幸を造りだした猫もこう捕えられてみると可哀想でならなくなる。しかも隣の夫婦にすれば、この猫を生かして置けないのは余りに当然のことなので、私の猫に対する気持ちが実際、事に働きかけて行くべくは、其処に些の余地もないように思われた。私は黙ってそれを観ているより仕方がない。それを私は自分の無慈悲からとは考えなかった。」
 

 ここで語られているのは二つである。
一つは、語る世界と語られる対象的世界の断絶である。この断絶を埋めようとすると、ちょうど『子供の神様』の語り手が感じたような、ある種の疾しさの感情が内心におきてしまう。それは繰り返すが志賀の恣意的な論理と自然の論理との間に整合的な関係がないからである。一方、『城の崎にて』においては生と死がクロスし反転する有情の世界がある。対象的世界の冷徹なリアリズムは自らの思想の恣意性を暴露させ志賀をして自己矛盾に陥らせずにはおかないが、その閾値を超えることに於いて語ることの意義が生じる。つまり文学の意義が始まる。

 他方の『濠端の風景』の世界においては、いっけん小説家としての安定的な人生観が得られるのだが、それは作者世界がより安全な側に退避した観照的な態度を取ることが出来たからであるにすぎない。もちろん、作者と対象的世界との間に取り結ばれた安定的な関係は、不在を通して、生きることのかけがえのない愛惜、と云うものを生んではいる。雛鳥たちが母親に連れられて母親と同じ動作を学習する場面や、母親を亡くした後の雛鳥たちの目をしばたきさせる当惑する様子などにそれは明らかである。掛かる意味では『濠端の住まい』は一歩、『城の崎にて』の死の世界から生の世界に踏み込んだものと云えよう。しかし、志賀の現実との間に取り結ぶ安定した関係と生活は、目に見えない形而上の世界との交渉を失ったのである。

 傑作とは、やはりかかる世界観の破壊と破調において生じたものではなかったのか。『城の崎にて』や『小僧の神様』から『濠端の住まい』の間に生じた出来事は、そのことを教えているように思われる。『濠端の住まい』以降に生じた志賀の変貌を、一方では作家としての成熟、と捉えることもできるし、形而上の世界との交渉を喪失した作家的キャパシティの低下とも捉える事が出来る。それをどう考えるかが、その人の志賀直哉の評価と云うことになる。

アリアドネの部屋より