まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

「瓢箪新道」 著:吉井勇

春秋社「大東京繁昌記 下町編」1928年9月刊
講談社文芸文庫編「大東京繁昌記 下町編」2013年5月10日刊

 

 瓢箪新道 ( ひょうたんしんみち ) というのは、大伝馬町二丁目の南裏通のことをいうのであるが、そこの横丁から一軒の、どこかにまだ文明開化的情調の残っている、古風な西洋料理店を発見して来たのは、その時分が猟奇癖のあった木下 杢太郎 ( きのしたもくたろう ) 君であった。

 それは今からもう十六年も前、私達がまだみんな二十代の時分のことで、誰がいい出し始めたかも忘れてしまったけれども兎も角も月に一度か二度、妙な西洋料理店を見つけて来ては寄り集まる、「パンの会」というものがあって、その第何回目かの会場として杢太郎君がこの瓢箪新道の三州屋という家を見付けて来たのである。パンといっても食べる麺麭ではなく、そういうギリシャの神様の名で、堅苦しい字で書けば牧羊神というのであるが、一度永代橋の傍の汽船発着所の二階にある、汚い西洋料理店であった時なぞは、警察ではパンというものを、やっぱり食べる麺麭のように思ったと見えて警戒厳重だったことがある。しかし暢気者揃いの私達は、そんなことに関 ( かま ) わず大に飲んで、倉田白羊君の如きは便々たる腹に顔を描いて、それを往来の方に突き出しながら、さまざまの表情をして見せたりした。

 それでその「パンの会」の定連といえば、今いった木下杢太郎、 北原白秋、長田秀雄、石井柏亭、倉田白羊、山本鼎、高村光太郎、それから変ったところでは木版彫刻の伊上凡骨、写真製版の田中半吉、ドイツ人のフリッツ・ルンプなとなどいう人達で、盛んに飲み、盛んに論じ、盛んに唄ったものである。北原君の作った、

  空に真っ赤な雲のいろ、

  まへに真っ赤な酒のいろ、

  なんでこの身が悲しかろ、

  空に真っ赤な雲のいろ。

という唄なぞは、ずいぶん私達によって合唱されたものであった。

 そういった「パンの会」の中でも、瓢箪新道の三州屋で催された時位盛んだっことはなかった。その時はいつも集まる定連以外に「三田文学」「白樺」「新思想」の人達まで案内状を出したので、会場に入りきれない位大勢の人が集まって、しかもそこに来た人達は、殆どみんな酔ってしまったのだから、今から考えても騒ぎのほどが思いやられる。私はその晩の出席者の中に、小山内薫、谷崎潤一郎、志賀直哉、里見弴、和辻哲郎、萱野二十一、水野葉舟等の諸君の顔があったことを酔眼朦朧裡に記憶している。

 それにもうひとつその晩のことで私の目に残っているのは、椅子に腰を掛けて三味線を弾いている芸者の姿と、テーブルと壁との間の狭いところで、何か踊っている可愛らしいお酌の姿とである。後で考えて見ると芸者は石井柏亭君の「東京十二景」のモデルになった女で、お酌は後年市村座の田村寿二郎夫人となった人であった。これなぞはおそらく杢太郎君の目には「紅毛人饗宴之図」の如くに映ったのであろう。

 こうして瓢箪新道という名前は私には遂に忘れられないものになった。瓢箪新道というと私は暗い横丁の土蔵に面した入口のところに、牧羊神の顔を大きく描いた白張の提灯が、ふらふらと風に動きながら、ぶら下がっていたのを思い出すのである。

 

 あかあかと土蔵の壁に夕日さしこの新道のしづかなるかも 

 パンの会のころ恋しやと酒に酔ふ度ごとに友なりしかな 

 酔狂もこよひは許しさまへやと牧の御神に酒たてまつる 

 提灯描きたる牧羊神 ( パン ) の顔さむし身に染むものか秋の夜風は