まるさんの資料置場

本に囲まれ 資料に埋もれ。。。じゃ、紙の削減ね。

明治大正実話全集

第一巻 政界疑獄実話 伊藤痴遊 平凡社 昭和5 1,080 第二巻 悲恋情死実話 三上於菟吉 昭和4 1,500 第三巻 強盗殺人実話 甲賀三郎 昭和4 1,500 第四巻 第四巻 名人苦心実話 村松梢風 第五巻 財界興亡実話 谷孫六 第六巻 妖艶淪落実話 平山蘆江 なし 第七巻 な…

第六天についての考察 第六天社という神社がある。 このブログでも、過去に何度か触れたことがある。 実に不思議な神社だ。 この聞き慣れない神社は、かつては関東のいたるところにあったらしい。 しかし、現在ではほとんど目にすることがない。 ほとんどは…

扇谷日記 島木健作 著

九月十一日 曇又晴 朝夕は浴衣の上に何か羽織らねば寒さを感ずるようになった。数日来の発熱の気味があって、わずかの涼風にもぞくぞくするような不快を感じていたが、今日は平常に復したようである。腹はなおゆるみがちである。 夜来、柿の実が落ちる音を何…

焼失したはずの明治天皇御座所のゆくえ 小林敏夫

聖蹟蒲田梅屋敷公園余話 御座所はいまでもありますよ 私がまだ広報課に在籍していた昭和五十五年二月のある晴れた日、広報課に聖蹟蒲田梅屋敷公園のことなら、なんでもよいから知りたいという恰幅のよいご老人が突然訪ねて来られた。梅屋敷の由来 ( 史誌十三…

蒲田梅屋敷の今昔 林 信孝

梅の名所蒲田梅屋敷 蒲田梅屋敷はその名のとおり梅の名所として江戸時代文政の頃から現在まで、蒲田の地に風雅を添え多くの人々をなごませ楽しませてきました。古来より蒲田周辺は梅園が多く、「江戸名所図会」 (天保七年 1826年 江戸須原屋刊行」には「此地…

「大川端」 著:小山内薫  第1部 1

今から七年前――丁度日露戦争が済んだ年の秋だった。久松超の明治座に愛国婦人会の慈善演芸会が三日ばかり催された事があった。 その二日目に正雄は龍閑橋の伯父さんに連れられて、見物に出かけた。菊の匂いの何所からともなく漂ってくるような如何にも好い日…

今戸狐 著:小山内薫

これは狐か狸だろう、矢張(やっぱり)、俳優(やくしゃ)だが、数年(すねん)以前のこと、今の沢村宗十郎(さわむらそうじゅうろう)氏の門弟で某(なにがし)という男が、或(ある)夏の晩他所(よそ)からの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にしな…

富山港線探訪と路面電車を考えるつどい

富山港線探訪と路面電車を考えるつどい「記録」 2003年7月21日 富山市岩瀬カナル会館 司会 大西光男世話人 「富山港線探訪と路面電車を考えるつどい」にたくさんの方々に参加していただきまして、本当にありがとうございました。 今日の司会をさせていただき…

評伝 小山清 3 町っこ 35 千束尋常小学校

1915年 ( 大正4年 ) 、大阪から帰京した小山は、兄と共に幼稚園に通園した。その幼稚園は根岸にあり、「鶯谷へ出る途中のやっちゃ場 ( 青物市場 ) の近くにあった」 ( 「思ひ出 ) というから、市立根岸尋常小学校附属の根岸幼稚園 ( 中根岸29 ) のことだろう…

洗足池 千束八幡神社 東京都大田区南千束

前回のつづき。 せっかく洗足池駅に来たので洗足池を一周した。 歩道橋上から洗足池。中原街道沿いに柳の大木が数本並ぶ。 中原街道に面した湖畔に建物(ボート乗り場?)があり、中に入れるようになっていた。 中はガランとしてベンチがひとつあるだけだで…

評伝 小山清 2 両親 32 キリスト教

小山の家は三社様の氏子だった。三社祭で、子供時代の小山は「あの網の模様のついたそろひの浴衣を着た」 ( 1956年1月『うへのあさくさ』「浅草 ) 。また、貸座敷業廃業後も、その頃の縁起を祝う習慣が残っていて、灌仏会などの年中行事も大切にしていた。灌…

評伝 小山清 2 両親 28 聖家族

小山には聖家族をテーマとして随筆「幸福論 ( 8 ) ―聖家族によせて」( 1953年2月『新潮』⇒「聖家族によせて」) と小説「聖家族」 ( 1954年3月『文芸』) がある。 聖家族とはイエスのその両親のヨセフとマリア一家のことであるが、「幸福論 ( 8 ) 」において…

評伝 小山清 2 両親 24 小山と母

そんな家庭の中において、母つたの生活は平安なものではなかった。 母は昔よく私にいひました。何度家を出ようと思つたかわからないと。けれども母はその度に、私が不良少年になるかもしれないと思つて、思ひをひるがへしたのださうです。母は嫁として辛い立…

評伝 小山清 2 両親 20 祖父母

小山は祖父のことを「桜林」「思ひ出」で語る。「桜林」では、次のように記す。祖父は三業取締の役員を一時つとめ、「二六新報の企画した娼妓自由廃業の運動の際にも、また救世軍がその遊説の太鼓を廓内にまで持ち込んだ時にも、間に立って調停の役を勤めた…

評伝 小山清 2 両親 19 母つた

「私の気持ちはいちばん母にくっついてゐた」「母の心は私にあった。私は母の子供であった」 ( 1954年10月『群像』「弟と母のこと」) と小山は母と自分の深い関係を語る。 つた ( 1889年 ( 明治22年 ) 生まれ ) は「丸髷などのよく映る別嬪」 ( 同前 ) で、…

評伝 小山清 2 両親 16 父兼次

兼次 ( 1885年 ( 明治18年 ) 生まれ ) は越喜太夫の名を持つ義太夫語りで、大阪の文楽座に出演していた。2歳の時に、脳膜炎で失明した兼次は、13~4歳の頃、大阪へ義太夫の修行に行った。初め五世野沢吉兵衛の手ほどきを受けた後、越路太夫 ( のちの摂津大掾…

評伝 小山清 1 新吉原 15 兼東楼

加禰が新吉原で貸座敷業を営んだのは、対岸で近かったということだけではないだろう。新吉原の芸者・春の家花寿の「夜一夜、騒げるだけ、騒いだ挙句、夜が明けると又、さア是から八百松へ呑み直しに行かうなんて、有仰る方も出て来ます。然云ふ時は又私達も…

評伝 小山清 1 新吉原 13 八百松楼

加禰の墓誌にある枕橋のほとりの八百松楼とは向島の水神 ( 隅田川神社 ) に隣接した割烹・八百松楼の支店である。前者は枕橋の八百松、後者は水神の八百松と呼ばれていた。水神の八百松は小山松五郎によって開かれた。松五郎は幼少から浅草の八百善で修行し…

評伝 小山清 1 新吉原 12 小山加禰

1911年 ( 明治44年 ) 4月のいわゆる吉原の大火で廃業するまで、小山の家は廓内で兼東楼 ( 京町2-31 ) という名で貸座敷業を営んでいた。兼東楼は小山加禰によって創建されたと谷中霊園の小山家の墓地にたつ「加禰女墓誌」には記されている。漢文で記された墓…

評伝 小山清 1 新吉原 10 誕生

小山清は1911(明治44年) 10月4日、父兼次、母つたの次男として新吉原 ( 東京市浅草区千束町2-425 ) に生まれた。兄妹は、兄の新 ( 後に弟・辰、妹・直子 ) がおり、祖父母も健在だった。 私は浅草の新吉原で生れた。生家は廓のはづれの俗に水道尻といふ処に…

寄生木 第12章 (1) 神仏

明治29年となった。良平も早や数え年の16。父を仙台の未決監に置いて、良平の一家は心細い肩身の狭い籠城の正月を迎えた。 当の敵長沼一家は如何であったか。村人は御士族衆 (ごおさむらこしゅう ) に阿 ( おも ) ね諂 ( へつら ) い、その邸を寿ぶく為に、…

「解剖室」 著:三島霜川

これ、解剖學者に取ツては、一箇神聖なる物體である、今日解剖臺に据ゑられて、所謂(いはゆる)學術研究の材となる屍體は、美しい少女(をとめ)の夫(それ)であツた。此樣なことといふものは、妙に疾(はや)く夫から夫へとパツとするものだ、其(それ)…

源伯父 国木田独歩

都(みやこ)より一人の年若き教師下りきたりて佐伯(さいき)の子弟に語学教うることほとんど一年、秋の中ごろ来たりて夏の中ごろ去りぬ。夏の初め、彼は城下に住むことを厭(いと)いて、半里隔(へだ)てし、桂(かつら)と呼ぶ港の岸に移りつ、ここより…

青眼白眼 題言 齋藤弔花

題言 吉弘君の「青眼白眼」成る君は奮 ( 古 ) 性に青眼を挹るころを知って奮心に置くことを忘れず、 君の才は凹凸鏡のことし。物ありて影を落せば、君は一面の彼を捉 ( とら ) ひ來つて正寫、反寫、倒寫し、その八面を觀て、内面を貰ける核心を摑まずば巳ま…

武蔵野

林の奥に座して 四顧し、傾聴し、睇視し、黙想す

太宰治 小山清にあてて

昭和16年 24 6月18日 東京府下三鷹下連雀113より 東京市下谷區龍泉寺町337 讀賣新聞出張所内 貴稿は拝讀しました。一、二箇所、貴重な描寫がありました。恥じる事はありません。後半、そまつ也。目茶だ。次作を期待してゐます。雰圍氣や匂ひを意識せず、的確…

「落穂ひろい」 著:小山清

仄聞 ( そくぶん ) するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆してゐる日記は嘘の日記ださうである。僕はその話を聞いて、その人の孤獨にふれる思ひがした。きつと淋しい人に違ひない。それでなくて、そんな長いあひだに渡つて嘘の日記を書きつ…

滿支一見 ~ 1 宿望  著:里見弴

都会人、――たゞ都会に住んでいるというだけでなく、何代かを或る都市に住みついて來た人間は、兎に角旅を億劫がる傾向があると云ふが、成程さうかも知れない。すぐ思ひつくところで、久保田万太郎君、最近新聞種になった鏑木清方氏の関西遠征の大奮発など、…

岸清一君と偉一君 著:下村海南

「本卦かへり」 四條書房 昭和10年3月20日刊 著:下村海南 體育會館の設立 故岸清一博士の遺志をついて令継偉一君は、體育會館の為に百萬圓を提出されるといふ、近頃快心極まるニュースである。 偉一君から親しく耳にせるところも、委員會にて郷隆君より聞く…

海 「泉鏡花」 著:里見弴

ぼくが少しのこだはりもなく、面と向かつて「先生」と呼べるのはたつた一人、泉鏡花だけです。夏目漱石のことを、「夏目先生」だの「漱石先生」だのと言つた覚えはない。だけど、今日は、だれもかれも公人扱ひとして、尊称や敬語をいつさい省略させてもらは…